ゲーム大好き♪
パリジャンです。
今回は『FRAGILE ~さよなら月の廃墟~』の考察? っぽい記事となっています。
ゲームはクリアしたけれども、語られない謎がいっぱい。
いろいろな想像を巡らせながら「こういうことだったのかな…?」という感想をいろいろ書いていこうと思います!
この記事にはネタバレがあります。閲覧の際はお気を付けください。
~FRAGILE~ プレイひと筆 いろいろ考えよう!
FRAGILEの物語の時系列
まず、この作品は「セトくんの思い出話」、
モノローグでも語られるとおり15歳の夏のおわりの出来事。
大人になった彼が、若き頃のことを思い出しながら語っているものです。
ゲームクリア後もセトくんの旅は続いているんだけれども、この夏の出来事は彼にとってホントに忘れられないものだったんだろうなぁ。
チヨさんの言葉どおり”いつか終わりが来る日まで、
うんと生きた”んだろうね。
グラスケイジ計画ってなに?
ゲーム中での重要なキーワード「グラスケイジ計画」。
まずこの計画について簡単におさらい。
グラスケイジ計画は「人間にかつて備わっていた”共感性”を蘇らせる」計画。
この力があれば人類は、言葉を交わさずにコミュニケーションをとることができて
戦争やその他のいろいろなことで対立していた当時の人々にとっての”希望”そのもの。
その計画がついに実行された。
これがグラスケイジ計画の全貌。
この計画を作り上げた若き科学者”シン”。
彼はじぶんを被検体にして計画始動前に実験をしていたみたい。
実験は見事に成功したけれど、人々の気持ちを読み取れるようになったシンは…絶望してしまった。
人々の心の”だれかに対する負の感情”を見てしまったから。
こんな汚れた世界を救う価値があるのか? と暴走したシンは
グラスケイジ計画を”人類が永遠の眠りにつくもの”へと書き換えた。
そんなことも知らずに、人々は明るい未来がやってくることを期待して眠りにつく。
…そして、そのまま起きることはついになかった。
わずかに生き残った人々をのこして、人類は滅亡してしまった。
いろいろな記憶を見ていくに”永遠の眠り”にはタイムラグがあったみたい。
それは人々も気づいていたけれども、どうすることもできなかった。
大切な人が先に眠る哀しみ。大切な人に見届けてもらえる安らぎ。
そんな気持ちがいろいろな記憶から読み取れるよね。
おじいさんの正体。
セトが旅立つきっかけの言葉を遺したおじいさん。
たくさんの後悔の想いを抱えていた様子が、おじいさんの手紙から読み取れます。
- 青い宝石(=グラスケイジ計画のAIの結晶)を持っていた。
- 計画の被験者・サイがおじいさんのこと知っていた。それだけじゃなくて心配もしていた。
このことから、おじいさんはグラスケイジ計画の関係者。
もっというと”シン”本人なんじゃないかなぁ、と思うんだよね。声優さんもおじいさんとシンは同じだしね。
おじいさんがセトくんと暮らしていた理由もちょっと考えてみる。
「東の塔を目指しなさい」っていう言葉を遺していたからやっぱり”人が生きるにはだれかが必要”と思ったのかな?
でも人類はおじいさん自身が滅ぼしてしまった。
そんな絶望のなかでセトくんと出会って、人と関わることの素晴らしさにふれて 改心した感じなのかもしれないね。
研究施設とロボットたち。
終盤で訪れる研究施設にある、入院病棟みたいな区域。
あそこはなんのためにあったんだろう。
グラスケイジ計画は、触媒の心とAIをリンクさせる必要があったからその実験スペースだったのかな?
だれでも触媒になれるワケじゃなさそうだし、そういう実験も必要だったのかもしれない。
AIやロボットへの人格の移植の結果、生まれてきたのがアイテム屋さんやクロウなんじゃないかなーって思ってみたり。
じゃないとお世話用や戦闘用(?)ロボットにあんなにも人間味あふれた人格必要なさそうだしね。
クロウが持っていた写真はクロウの人格元の少年時代のクロウ自身?
アイテム屋さんはお嬢さんよりも先に自分が死んでしまった場合を心配して、自身の人格をロボットにコピーした?
記憶媒体が経年劣化で、自身が元々人間だったことを忘れた。とか。
ゲームのなかでこの辺りは描かれていないけど、
なにか設定とかあったりするのかなぁ??
エンディング後のセトとレン。
エンディング後にも実はセトくんの独白パートがあります。
「わたしたちは2人で一緒に旅をして。しばらくして、私はまたひとりになった」。
この言葉からセトくんとレンちゃんは離れ離れになってしまった。ということが読み取れます。
なにか理由があって別行動? ん~、お話の流れからしてあんまりなさそう。
ということはもしかしたら”死別”なのかもしれない。
サイの本体も若い身体なのに亡くなっていたし、グラスケイジ計画は触媒に相当な負担があったりするのかな。
世界にはまだ、生きのこっている人がいる。という描写はされていました。
その人たちに会うために旅にでた2人。
この「またひとりになった」という言葉は、文字通りセトくんひとりだけの星になったという意味ではなくて、
おじいさんがセトくんといてもなお感じていた”心の孤独”という意味なんだろうなぁ。
レンちゃんとお別れしたセトくん。
人生のさいごまでだれかと
“心”でつながることはなかった。ということかなー? 哀しすぎる。。
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